日記とも月記とも呼べない何か。

かといって年記でもない。

delaidbackについて。

delaidback

 

あえて曲順も歌詞も見ずに1周目。まず感じたのは、声が何だか違うという事でした。

「光のような」に始まって、「透明な日」も「Star Slave」も、五十嵐さんの声に芯がなくて不安定で、それに物凄く歌いづらそう。

何だか無理をしていて曲に合ってないというか、聴いていてとてつもなく違和感を感じる。

「いつだってぇぇぇ~ぇ~」って…アンタそんな声の張り上げ方するような人じゃなかったでしょ…と、まずここで挫折しそうになりました。

その違和感しかないボーカルを前面に押し出したミックスにも違和感。

生還の5曲はまたちょっと違うところでガッカリな出来栄えでした。

アレンジも歌詞もさほどいじってない事には安心したんだけど、なぜかここでも感じる違和感。

特に残念だったのが「赤いカラス」。正直期待が大き過ぎました。あの曲だけはあれ以上余計な音は入れないでほしかった。控えめではあるけど。

これは生還を見過ぎてしまったのもあるけど、私にとってはやっぱりあのライブでの演奏がベストテイクだったんだろうと思います。

スリーピースだから当たり前だけど、生還での無駄な音が一切ないシンプルなアレンジが良かった。

でも「ヒーローショー」のイントロの生還バージョンにはないアレンジは好きだな。

それにしても、キタダさんのベースはいつも通りさりげなく凄い仕事してるのはわかるんだけど、音源だと中畑さんのドラムの存在感が薄い。ライブの9割引きくらいのディスカウント(わかりづらい)。

シロップは音源化するとミキシングで曲の良さを殺してしまっている事が割と多いような気がするのは私だけでしょうか?

「Mouth To Mouce」の音源の音があまり好きじゃなくて、ライブで「変態」を聴いた時「こんなにカッコいい曲だったのか!」と思ったのはいい思い出。

そんな訳で、来年のツアーに期待しています。

途中、間に挟まれている「夢みたい」で変わる空気感。この不穏なコード感、やっぱり絶品だなあと思っているところにそれまでとは明らかに温度も湿度も違う五十嵐さんの声。

そして最終的には初めて聴く4曲に心を完全に持って行かれました。

アレンジはシンプル極まりないけど足りないとは全く感じない。

特にギターの音色のなんとキラキラしている事でしょうか。

そのキラキラした音の中で、五十嵐さんの声はまさに水を得た魚のように自由に泳いでいました。

演奏と詞とメロディと声、すべてのピースがぴったりはまっている感じがする。

昔はそれをアルバム丸ごとでやってのけていたという事がいかに凄い事だったかを思い知らされました。

昔は良かった、なんて本当は言いたくないんです。今が最高って言いたい。

でも、前半の曲はそれぞれのピースがなんだか上手くはまっていないように感じてしまうんです。あの何とも言いようのない違和感。

今も昔も方法としてはさほど違う事をやっているようには思えないんですが、何かが違う。

それが何なのかよくわからないけど、それを取り戻すのが一番難しい事なのかも知れないし、もしかしたらもう取り戻せないのかも知れない。

そして、私がシロップに求めているのは「夢みたい」や「変拍子」のような重々しさもだけど、まさに「4月のシャイボーイ」とか「光なき窓」のような透明感とあのファンタジックな感じなのかも知れないと今回改めて感じました。

二度と戻れないからこその美しさなんだろうとも思います。

でも今のシロップの音と五十嵐さんの声でここまで再現できた事はまぎれもない事実だし、こんな素敵な音源を出してくれた事に心からの拍手と感謝を送りたいのです。

いつの日か、新しい音源でもこんな風に思える日が来る事を、できるだけ過度な期待はしないように(ここ大事)待ちたいと思います。

 

そして最後に。
ジャケットが良いと、一層その音源に愛着がわくという事をあのお方(笑)がこれ以上ない形で示してくれた事にも感謝。